あの人、一体何者?そう思われる女が、今正しい!
こんにちは!エステ鍼灸サロン リレイユの七重です!
25ans(ヴァンサンカン)女性のファッション誌を読んでいたところ、
【あの人、一体何者?そう思われる女が、今正しい!】
という題名が飛び込んできたので、
ご紹介しますね。
(斉藤薫のBlack Beauty)
せっかくなので、ほぼ全文を。長いので、興味ある人だけどうぞ!
最後に私の感想も少し書いてます。
自分が世の中からどう思われているかなど、全く考えていない、どうでもいいという潔さもあるのだろう。でも、何か時々は、他人の目で自分を見つめてみるべきではないか?
今、この時代、どこのどの服を着ているかとか、どんな髪型をしているかとか、そういう形あるものより、むしろ存在感の方がよほど重要な評価の基準になっているから。とりわけパーティーのような場面では、ドレスより何より、本人から醸し出されるオーラの方がよほど目を惹く時代が来ているということなのだ。
なぜならば、日本の女は20年前とは明らかに違う。かつては、ドレスをいかに着こなし、その場でいかに浮かないか、そういうことに心を砕いていたのだが、場数を踏み、経験を重ね、言ってみればどこに出ても堂々としていられる女が一気に増えた。女が女としてめざましく進化したのだ。ファッションでなく、見た目だけでなく、気配そのもので人目を惹くことができる、一つ上の次元の女性が増えたのである。
でも逆に言えば、なかなか難しい時代に入ってきた。気配の引力…、こればかりは、鏡に映らないし、どこかで買えるものでもない。
準備できるものではないからだ。一つだけ確かなのは、ただそこにいるだけで「彼女は一体何者?」と囁かれること。ただすれ違うだけで「彼女は何者?」と思われること。もちろん“何者”感に良い意味も悪い意味もあるけれど、今時は、胡散臭さに対して皆過敏で、“何様な人”も“怪しげな人”も瞬時見分けて近づかないのはもちろん、感心すら持たない。
逆にそういうふうに、世の中が人の気配を瞬時に見分けれれるようになったからこそ、今は気配美を競う時代になったのだと言ってもいい。
「彼女は一体何者?」それは、只者ならない背景を持つはずの人に対しての、抑え切れない興味と感心。異性だったら一目惚れしているかもしれない強烈な惑い。一瞬で生まれてしまう憧れと嫉妬。そしてもう少し眺めていたいと言う単純な美意識。そうしたものがない交ぜになって生まれる疑問こそ、「彼女は一体誰なの?」
自ら「私はこんな女よ」とアピールする人は誰もそういう感心を持たないのだろう。神秘的だからこそ誰?誰?と知りたくて仕方がなくなる。ものすごい気配を放ちながら、名乗ろうとしない、そこにただならぬ存在感と言うものが生まれるのだ。
ある高級レストラン、化粧室へ行くとその人を見かけた時、彼女は一体何者?と思った。同席していた人も同じように思ったのだろう。「彼女は一体何者?」と口にした。また別の同席者答えを持っていた。彼女は世界的な音楽化の妻だった。ちゃんと答えはあるのだ。彼女もまた著名な演奏家であった人。やっぱり只ならない人だった。
気配は嘘をつかない。気配はその人の背景を語り、その人の厚みや奥行きや魅力や、どうにもごまかしの効かない存在感を語るのである。彼女は誰?と思ったら、必ず何者か、である時代。だからこそ、ただひたすら美しさを追求するだけではまずい。人を一瞬で惹きつける気配を身に付けないといけない時代であると思うから。
さて、気配は買えないと言った。だけれども、光を作ることはできるはず。その一つの方法が、文字通り“発光する肌”をつくる次世代のスキンケア。***********
正直、遠目からも彼女は何者?と言う只ならなさを生むはずなのだ。
そしてもう一つ、やっぱり口紅。他には何もいらないというほどのインパクトをもつ赤い口紅を堂々と纏(まと)った時、10代でも“何者感”が出てしまう。
これを読んで納得した。
3月に私の取り扱っているメーカーと協賛でお客様を招待してパーティーをしたのですが、
その時に、お客様が城嶋常務を間近で見て以来、
「あの年齢であの美しさは、一種の化け物だよ~。」
とご来店の度に大絶賛されている。
上文に、“何者感”はお金で買えない、準備ができないと書かれているが、
日々の努力とその正しい努力をするために美への投資を惜しまず行っていること、内面から輝く心と仕事への情熱【内側から放たれる美】
が“何者感”につながっているのではないかと思う。
というわけで、“何者感”身に付けたいですね~。すぐに醸し出すことはできないので、一歩一歩前へ進んで行こう!